西中洲・博多とは
泥川武士が店舗を構える「西中洲」という場所は「中洲」や「博多」に隣接しています。
<博多とは>
博多は古くから大陸との交通の要衝として栄え、商業が盛んな地域です。また、「博多祇園山笠」や「博多どんたく」などの祭りや、「博多織」、「博多人形」などの伝統工芸品でも知られています。
毎年、博多部の流を中心に行われる博多祇園山笠は、博多の総鎮守として知られる櫛田神社の奉納神事で、700年以上の歴史を有する伝統行事である。
この流は山笠や博多松囃子などの伝統行事を受け継ぐ文化的な共同体を保持し続けており、博多を特徴付ける存在として特筆される。
長い歴史をもつ博多には祭りや寺社仏閣のほかにも、博多人形や博多織といった伝統工芸品が現在まで受け継がれている。
また博多区内に所在する博多駅は九州最大のターミナル駅であり、駅周辺にはオフィス街が広がるともに2010年代以降は駅ビルの「JR博多シティ」など大型商業施設の集積も進んでいる。
現代の博多地区の中心であり、様々な都市機能が集積した博多駅周辺は、福岡地区に位置する天神とともに福岡市の都心を形成している。
<中洲とは>
西日本一の繁華街。
那珂川と博多川に囲まれた長さ約1キロ、幅約200メートルの細長いエリアで、中洲の誕生は、福岡藩の初代藩主黒田長政が福岡築城のため福岡の町づくりを行う際、武士の町「福岡」と町人の町「博多」をつなぐため那珂川に土砂を積み橋を架けたのがはじまりと言われています。
那珂川と博多川に囲まれた0.15k㎡の中洲は、西日本随一の歓楽街に発展するまでには、様々な時代の変遷の中で発展してきました。
当初は畑でしたが、明治になり、電灯会社や電話局が開設され、その後、劇場が立ち並び、大正時代には映画館が次々と建てられ繁華街として発展しました。
現在は、西日本一の繁華街と言われるとともに、東京・歌舞伎町、札幌・すすきのと合わせて、日本三大繁華街と称されることもあります。
博多祇園山笠の七流の一つである「中洲流」や珍しい女みこしの中洲まつりなど祭りやイベントも盛んに行われています。